5 最後の日

もう、不安定な状態が1週間以上続いている。
サチュレーションも鳴りっぱなし。ハートレートも160台が続く。大地はもう、ずっとマラソンをしてる状態だった。輸血も行った、3日後。

1999年11月10日。
朝、10時。病院から呼び出され飛んで行き、目にしたのは、今まで見た事がない姿の大地だった。吐血、無呼吸、モニターのアラームは鳴りっぱなし。
昨日も呼び出されたけど、その時とは全く違っていた。

私の姿を見たナースは、すがってきた。
「オカアサン! 刺激しないと、大地ちゃん、息止めちゃうんです」背中をタッピングしながら、吸引をしてた。
吸引ボトルに溜まる真っ赤な血だった。
その姿は、今まで一度も見た事がない、大地の状態だった。私は慌てて、パパに電話した。震えが止まらなかった。公衆電話をしながらヘナヘナと座ってしまった。
「大地、違うネン。いつもと…。ちょっと、ちゃうんねん」
その電話を聞いて、パパは、「わかった」。そう言って、病院に向かった。間もなくパパの姿が見えた。

すぐに主治医が来た。酸素も上げるけど効果無し。もう、めいいっぱいの10リットルをしていた。マスクから酸素がもれる音がする。シューッと音が空しい。そのうち主治医によって、バギングが始まった。
バギングを止めると、酸素飽和度も下がる。50、40、30…。今まで、痙攣の時にしか、出なかった数字。
なんで?痙攣なんかしてないのに!大地は、うつろな目で遠くを見ているようだった。
「こーら。大地!しっかり息しいや!」
こっちも息が震えてる。どうなってるのか、状況判断をしようと、親としての責任を果たそうと、気持ちを落ち着かせようとする。
バギングをして3時間。しかし、そのうち肺が硬くなり、バギングをしても肺に空気が入らなくなってきた。
だんだん大地の口の周りが赤くなってきて。
それを見ていると大地は「止めてくれ」って言っているのか「止めないで」って言っているのか、分からなくなってきて。「どっちなの?」って何度も問いかけた。

でもその時、大きな目から ぽろっと涙をこぼしたのをパパと私は見た。

パパは、私の肩を抱き上げた。
そして、大地の側から離れて行った。先生や看護婦に別室を借りたいと申し出た。
何をするのか。察しはついてた。
別室に二人で通された。椅子に横並びになった。
「ええか………」
増々、涙がこみあげてきた。パパの言いたい事はわかってる。でも、その言葉は聞きたくない、言いたくない。勿論パパも同じ気持ちだと解ってる。
「ええか………。もう一度、確認やぞ、最後やぞ。……もう、あいつ、頑張ったなあ。偉かったなあ、……。わかってるなあ…。。。」

『延命処置をしない』そう決めて、やってきた。そして、これが、私たちの、最後の決断だった。
私は、声にならない声で「…しない」そう言った。二人で抱き合って泣いた。
こんな事、決めたくなかった。でも、その時は、刻々と近付いてきてる。
親としての責任。解ってるけど、余りにも残酷だ。

ひとしきり、二人で泣いて、また大地の待つ病室に向かった。
「先生、話してきました。延命はしないでコさい…」
主治医は黙ってうなづいた。
「お母さん、でも最後まで出来る事はしますからね」
その言葉に、少し救われた。

途切れ途切れの、呼吸。
モニターのカウントする脈も落ちてきた。
だいち、だいち、だいち、だいち。
輸血もしたのに、お薬もいっぱい入れたのに、なんで?なんで?
血圧も下がってきたので、昇圧剤も注入した。
何でもいいから、やってください!お願いした。
バギングももはや体全体でしなきゃ入らなくなってきた。主治医、他の小児科の先生、婦長、多くの先生が代わる代わる体全体で、空気をいれる。
主治医が聞いてきた。
「だいちゃん、もう少ししたら…、しんどくなるからね。今の内にしたい事ありますか」

…きた。それをすると、また一段階、大地が遠くにいってしまう。したくない。
でも、最後と言われた。どう言う意味かわかってるよ。したくないよ。
パパは、お前のしたい事せいや。と、言ってくれた。
私のしたい事。
「ダッコ」そう。ダッコした。線やチューブに沢山つながれていた。
大地はダッコが好きだった。ダッコすると、ポワ~ンと顔をしてた。私だけでなく看護婦さんにダッコしてもらってもいつもポワ~ンっていう顔をする。

パパと代わる代わるだっこした。最後のダッコ。
いつもの様に、ダッコをした。これまでの思いが頭の中をよぎる。産まれてから、今日の日までのことを。「ありがとう」って言いたい。けど、言えない。。

ダイチ。ホントにあなたは、行こうとしてるの?ママ達のとこにもう少しだけでもいいからおってくれない?でもおったら、また痛い事いっぱいせんとあかんね。どうしよ。我慢できひん?ママは、どんな事があってもあんたと一緒にいたいんよ。もう少しでいいからおってよ。
しばらくして、ベットにそっと置いてあげた。

バギングを開始して6時間がたとうとしてた。
どんどん、脈も呼吸回数も少なくなっている。呼び掛けても上がって来ない。もう、呼吸の間隔も短く、ゆっくりになってきている。空気が入る音だけが病室にあった。
モニターの数字が50、40、20、そしてひと桁、ゼロ…………。
そして、先生が時計を見て確認した。

「…そしたらね、おかあさん。。…19時34分です」

「だいち?だいち?だいちぃ?だいちだいちだいちだいち!!!いやいやいやあ」
何度も何度も呼んだけど、もう、脈も呼吸もあの可愛いため息も聞こえない。
決まってた運命かも知れないけど、あまりも辛すぎる。
1999年11月10日2歳8カ月。命はつきた。

家族、主治医、先生、婦長、主任、ナースさん達、じいちゃんたち、ばあちゃん、妹、にいちゃん夫婦が見守る中、大地は天国に旅立ちました。
多くの人たちに、看取られて。
そして、最後には今まで、一番良いお顔で、逝けたこと、それが、彼からの最後のプレゼントでした。いい顔で逝きました。

「もう、痛い事せえへんからね」
そう言って、大地の体を拭いて、お着替えをしました。

「きっと、ありがとうって言ったんやぞ」。後日主人は、そう言ってました。
あの時、バギングして、しんどい中、大地が涙をこぼした時の事です。